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人間が『神』の輪郭を見つけるためには、知能を発達させることが避けて通れない

人間を統率するためには『人間以上の存在』が必要だった!

 

上記の記事の続きだ。このようにして人は人の上に『神』を想像し、統率を図り、秩序を作ろうとしてきた。ここで少し疑問が浮かぶのは、私が書いた以下の記事についてだ。

 

『世界平和の実現に必要なのは『真理=愛=神』の図式への理解だ。』
『真理(愛・神)から逸れれば逸れるほど虚無に近づく。』

 

この記事で私が言っているのは、『真理』と『愛』と『神』という言葉は『同義語』で、人間が勝手にこれらの呼び名を変えて読んでいるが、実際には同じものを指したものである、ということ。しかし、このようにして考えると、明らかに人は『人の上に立つもの』として『神』を想像するから、私が言う『法則』のようなものではなく、『人格を持った神(人格神。例えば、髭を生やして杖を持っているような)』であるように思える。

 

しかしまず考えたいのは、過去に行けば行くほど人間の知能が下がっていくということである。『動物と同程度の知能』しかなかった狩猟採集時代には、食べ物を奪う際に略奪をするのは当然で、その過程で死傷することがあっても当然だった。一夫多妻はまかり通り、子供の父親が誰かもわからなかったようなそういう時代を生きた人々には『野生』はあっても『理性』はない。そういうイメージが浮かぶはずである。

 

進化

 

そんな時、『そういう人』が導き出した答えと、『知能が発達し、豊富な知識が揃った時代に生まれた人』が導き出した答えでは、そこに差異が生まれることは想像できるはずである。稲妻、洪水、地震を起こしているのは『人の上に立つ神様』という想像をして、それをまるで国の王様を崇めるように、畏敬の念を抱いた当時の人々。それは、半分正解で、半分間違いである。

 

稲妻、洪水、地震。あまりにも力強いあの正体を知らないとき、人はそこに『何を見た』かわかるだろうか?

 

まず、半分正解は『この世には人間が太刀打ちできない力がある』ということ。そしてそれに畏敬の念を抱くこと。これは正解である。これは今の世にも通用することだ。稲妻、洪水、地震。こういった自然現象を我々人間は止めることはできない。太陽の火が燃え尽き、宇宙からの隕石で地球が消滅する未来が見えても、それを止める術を我々人間は持っていないのである。だからそういう時は、映画『インターステラー』のように、地球に住めなくなるなら他の惑星に移住できないかを考える、というのが人間に残された選択肢。

 

 

MEMO

小惑星であれば白いペンキで色を塗れば、光の反射で高い放射圧を受け、進路を変更させることができる。

 

とにかく人間にはできることとできないことがある。それは事実だ。しかし間違っているのは、その『神』をまるで国の王様を崇めるように、畏敬の念を抱くということだ。なぜなら神は、王様ではないからである。人間ではない。そういった人間が想像できるものとは一線を画す存在なのである。

 

例えば人間が、下記の画像にあるポセイドンのような神を想像したとしよう。

 

 

しかし、こういうことを想像してしまった段階で、もうこれは『神話』レベルの話になってしまう。つまり、現実的ではない。嘘になる。『もののけ姫』に出てくる『でえだらぼっち』もそう。この世に存在するそうした一切の神話レベルの神は、あくまでも『未熟な人間が生み出した虚像』に過ぎない。だから、神に対してまるで国の王様を崇めるように、畏敬の念を抱くというのは間違っているのである。

 

彼らのような人格神が天災を引き起こしているわけでも、病気を蔓延させているわけでも、秩序を作っているのでもない。そういう考えがあると、生贄とか、祟りとか、呪いとか、そういう考えが生まれてしまい、どんどん人間が真理から逸れた行動を取り始める。

 

神様、この生贄をあなたに捧げます!村一番の美女で、処女です!だから人々の暮らしに平穏と幸福を与えてください!

 

それは真理から逸れた行動であり、そこには虚無が生まれる。

 

MEMO

この場合、この生贄に選ばれた女性と、その家族の心は虚無に陥る。

 

稲妻、洪水、地震を起こしているのは彼らのような人格神ではなく、『真理』である。真理というのは『自然のルール』と考えてもいい。例えば人は死ぬ。これは真理である。地球は生きている。これは真理である。地球は未来永劫宇宙に存在する。これは真理ではない。

 

このようにして考えていくと、稲妻、洪水、地震は、地球が生きているからこそ起きる『当然の現象』であり、それはまるで人を含めたあらゆる生命に限りがあるのと同じように、『真理』である。真理というのは、人間がどうにかできるものではない。この世に生まれ、未だかつて何人たりとも死ななかった人間は存在しない。それを止めることができないように、真理というのは『人間が太刀打ちできるものではない』のである。

 

では、『人間が太刀打ちできるものではない』と聞いて、何か他のことを想像できないだろうか。そう。それが『神』である。まさに真理と神というのは、言葉は違うが同じような威厳を持っている。そしてそこに『愛』を付け加えて、私はあの記事を書いたのである。世界6大宗教の根幹にあるものをよく見てみると、実は『人格神』というよりは、私が言っている『法則』について説明しているように見えるものが多く見受けられる。

 

世界6大宗教

  1. 仏教
  2. 儒教
  3. ヒンズー教
  4. キリスト教
  5. イスラム教
  6. ユダヤ教

 

そう考えると、人はまず最初に知能が低く、知識がなかった時代に『神話』レベルで神を大体のイメージで想像し、そしてそれらを『宗教』へと変えていって人間の秩序を作っていく過程で、徐々に『神は目に見えない存在であり、人間の理解の範疇を超えたもの』であるという事実を知り、神の詳細を追求していったと考えられる。

 

STEP.1
知能が低く、知識もない
この時に想像できる『神』は『神話』レベルのもの。雨は神様のおしっことか、涙とか。
STEP.2
農耕社会へと移り、秩序を求める
一夫一妻、殺人や盗みをタブー視する。
STEP.3
その秩序を植え付けるために『神』が必要になる
みんなが権力を主張し、人間では意見をまとめられなかった。『人間以上の存在』が必要だった。
STEP.4
神話が宗教へと変化していく
宗教にてより『神の存在』を追求していくことになる。
STEP.5
人間がより『神の実態』に近づく
例えば、雨が神様のおしっことか、そういう稚拙な考えは完全に淘汰される。

 

人間が『神』の輪郭を見つけるためには、知能を発達させることが避けて通れない。

 

スティーヴン・ホーキングの著書、『ビッグ・クエスチョン<人類の難問>に応えよう』にはこうある。

私はアインシュタインと同じく『神』という言葉を、人格を持たない自然法則という意味で用いる。したがって、神の心を知るということは、自然法則を知るということだ。私の予想では、今世紀の末までに、人類は神の心を知ることができるだろう。

 

アインシュタインも、彼も、私と全く同じ考え方にたどり着いている。もちろん私が後輩なので、私が彼らと同じ見解にたどり着いた、と言い換えておこう。そしてもちろん私に知能があるということではない。だが、彼らにはあるだろう。

 

輪郭

概要。物事の大体のありさま。

 

 

該当する年表

【上巻】年表で見る人類の歴史と映画・漫画・小説一覧[宇宙誕生~1900年編]