ハニワくん
先生
なぜ昔の神は『動物』や『巨人』が多いの?わかりやすく簡潔に教えて!
『自然』を操れる存在を想像したら、おのずと巨人が浮かんできたようです。
また動物の場合は、『人間でもなく神でもないが、神寄りの存在』と考えられていたようです。
ハニワくん
博士
人は昔、動物と同程度の知能しかありませんでした。
ですから、雷や稲妻、洪水のような自然な変化は、何か恐ろしい偉大な存在が自然の秩序を操るものだと信じました。その存在はおそらく『巨大』である。そうして巨人や巨大な生物が想像されました。
また動物ですが、今でこそ人間は知能で動物をはるかに上回って『彼らを保護する使命がある人間』の立ち位置を常識としていますが、当時は動物と同程度の知能だったわけですから、フィジカル的な要素が目立ったため、部分部分で能力が劣る人間は、動物を人間と同じ位置、あるいは神に近い位置として、畏怖と称賛の念を抱いていたのです。
博士
ハニワくん
先生
多くの神話に登場する『動物』や『巨人』
神々の住み家、神殿、神社、寺等が『高い場所』にある理由とは?
この話の続きだ。これらの記事では神々の住み家、神殿、神社、寺等が『高い場所』にある理由、神の対極にいつも『怪物と悪魔』が存在する理由を考えた。とにかくわかるのは『神は神聖な存在であり、人間の上に立つ存在であり、闇に負けない存在』ということである。それを表すためには、神は高い所に住む必要があり、その対極に悪魔や怪物を用意する必要があり、そして戦いによってそれらに結果的に勝つストーリーが好んで用いられた。
今回考えるのは『なぜ昔の神は『動物』や『巨人』が多いのか?』というテーマだ。確かに現代の世にもその時想像された神の像のイメージが、世界のいたるところに存在している。まずはこういうポセイドンもこの画像の時点ですでにでかい。
また、トーテミズムのときに考えたこの鷹の神も動物である。
生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、 もしくは霊が宿っているという考え方。例えば、風の神、水の神等。
各集団が特定の動物や植物などをトーテムとして崇める信仰のこと。『我が守護神のタカを恐れよ!』
シャーマン(巫師・祈祷師)の能力により成立している宗教や宗教現象の総称。『神霊が憑依した』
巨人はほとんどすべての神話に登場する。
各神話の巨人神
ギリシャ神話 | タイタン族 |
バビロニア神話 | 巨人フババ |
ペルシャ神話 | ガンダレダ |
スカンジナビア神話 | ユミル |
インド神話 | タイティアス |
中国の創造神話 | 盤古 |
また、神ではないが、ギリシャ神話に登場する怪物は動物が中心にイメージされているものが多く見受けられる。
様々な怪物
ケンタウロス | 上半身は人、下半身は馬 |
キメラ | 頭は獅子、体や黒ヤギ、尾は蛇 |
スフィンクス | 女の頭、鶏の翼、獅子の体 |
ミノタウロス | 半分人、半分牛 |
ケルベロス | 顔が三つの凶暴な犬 |
『自然』を操れる存在と言えば…
では一体なぜこうも『巨人』と『動物』が多く登場するのだろうか。それはまず下記の記事を見ればわかることである。単純に、大自然の圧倒的な力を動かす規模の存在は『大きい存在』という短絡的な発想があった。そりゃあ、今よりもはるかに大自然の中で暮らす人間たちにとって、あまりにも大きな川や山、雲や空、海や風といった存在を自在に動かせるとなれば、そうイメージせざるを得ない。
普段、自分たちはどんなに頑張っても、そのあたりにある岩を少しだけ動かすことしかできない。そんな中、急にその何万倍もの規模の大自然を大きく揺れ動かすような出来事が起きれば、それはそれはもう自分たちの規模をはるかに超えた存在が何かをしたとしか考えられないだろう。
稲妻、洪水、地震。あまりにも力強いあの正体を知らないとき、人はそこに『何を見た』かわかるだろうか?
例えば私は普段筋トレをしているが、どんなに頑張っても、ダンベルで30㎏の重さを片手で持ち上げるのがやっとだ。そんな中、東日本大震災が起きた。あの時私は浅草のマンションの9階にいたのだが、それだけの規模のマンションが、まるで『大きな赤ん坊に無邪気に揺り動かされている』ような錯覚を覚えた。普段そのくらいの重さと向き合っている私だからこそ、
あっ、もうこれは終わったな
と覚悟したものである。いくら自分が人間で鍛えていて、力のある方に属していたとしても、それとは異次元のエネルギーが動いたのだ。そう考えたとき、今よりもはるか数千年前の何もかもが無知だった当時の人々は、そこに『巨人』の存在を想像したのは全くうなづける話である。
動物のずば抜けた運動能力
では動物はどうか。これも単純で、当時人間は、ほぼ動物と同程度の知能しかなかった。しかしそんな中、自分たちよりも硬い皮膚を持つ『亀』、自分たちと違って空を飛べる『鳥』、自分たちよりも力が強い『象』、自分たちよりも長く水に潜れる『魚』、自分たちよりも速く走る『チーター』等の存在を見て、単純にそこに『憧れ』に似た感情を抱いた。
すげえなあいつ!
今でこそ知能で動物をはるかに上回って『彼らを保護する使命がある人間』の立ち位置を常識としているが、当時は動物と同程度の知能だったわけだから、フィジカル的な要素が目立ったため、部分部分で能力が劣る人間は、動物を人間と同じ位置、あるいは神に近い位置として、畏怖と称賛の念を抱いていたのである。
蛇 | 毒、巻き付くその様相が『悪魔、怪物』のイメージ |
牛 | 雄々しく男性的なイメージ |
鳥 | 地上と天を行き来することが出来る重要な役割のイメージ |
『世界の神話 神話の生成と各地の神話。神々と英雄の活躍』にはこうある。
それらの動物は人間が現実にしばしば接する存在で生活に影響を与える存在だった。その特殊な姿と能力により神話的な想像力の源泉になったのだ。
[『玉兎』(月岡芳年『月百姿』)孫悟空と月の妖精]
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