死ぬと『天国か地獄』に行くと考えたのは誰?わかりやすく簡潔に教えて!
古代ペルシャ宗教のゾロアスター教です。
『天国と地獄』、『死後の世界』の想像も比較的自由に行われました。
そんな中、『天国と地獄』の二分法で死後の世界を考えたのは、古代ペルシャ宗教のゾロアスター教の影響が大きいとされています。それがユダヤ教、キリスト教らに影響したわけです。終末論(最後の審判)、救世主論(キリスト等のメシア(救世主)が現われる)という発想も、ゾロアスター教が最初です。ちなみに『ドラゴンボール』は、このゾロアスター教のシナリオを採用している可能性が高いと考えられます。
このあたりの話の続きだ。このようにしてとにかく自由な発想で神話が生まれ、そして秩序を求めて宗教へと変わっていくわけだが、『神』のイメージと同様、人間界に甚大な影響を与えたもう一つの価値観もこの時にイメージされた。それが『天国と地獄』である。多くの神話や宗教でこの概念が想像されている。もはや、人間をやっていてこの言葉を聞いたことがない者などいないだろう。私の好きなあの『ドラゴンボール』ですら、頭に輪っかを付けて、閻魔大王に会いに行ったり、天国と地獄に行ったりしているわけである。そして後で説明するが、実はこのドラゴンボールは、今回のテーマに非常に関係がある題材となる。
もちろん、死後の世界を知ることができる人間などいない。それは現在でも同じことだ。こればかりはいくら科学が発展したところで、永遠に理解することができない境地である。もしそれを知っているという人がいるなら、それは単なる勘違いであり、『自分勝手な確信』にすぎない。
経験論の父、ジョン・ロックは言った。
その確信はすべてに等しく、自分勝手なイメージに過ぎない。ソクラテスはこう言い、
ガンジーもこう言ったが、
そのような『それも一理ある』という『断片的な解釈』をするのが限界なのである。
つまりソクラテスやガンジーの言葉は、一理ある。生きている間に苦労を強いられていた人がいるなら、そこから解放されることもあるからだ。しかし彼らの言葉は、死後の世界の全容を語っているわけではない。あくまでも断片的な解釈である。
各神話や宗教(を作った人々)は、『天国と地獄』、『死後の世界』の想像を自分勝手にイメージするしかなかったのである。しかし、それらのシナリオは本当によくよく考えて作られた。だからこそよくできていて、部分部分で納得できるようなものも存在する。例えば、
天国 | 善い行いをした人が行ける場所 |
地獄 | 悪い行いをした人が行く場所 |
このような発想は多くの人が心底では納得してしまうシナリオである。どんな悪党でも心底では、
まあ確かにそうか
と思うものだ。生まれ持っての悪人はいない。赤ん坊の時は皆純粋だった。どんな悪人に育っても、その時の純粋さを心底に微塵は残しているものである。その微塵でも存在する善の心が、そのシナリオを受け入れるのである。そのようにして『考えられる最大限のシナリオ』が想像されていった。
しかし、この『天国と地獄』の二分法で死後の世界を考えたのは、古代ペルシャ宗教のゾロアスター教の影響が大きいとされている。下記の記事にも書いたが、
『天国と地獄』の発想の大元はゾロアスター教で、それがユダヤ教、キリスト教らに影響した。終末論(最後の審判)、救世主論(キリスト等のメシア(救世主)が現われる)という発想も、ゾロアスター教が最初である。ゾロアスター教の創始者ゾロアスター(ツラトゥストラ)は紀元前1600年頃を生きたとされていて、モーセが紀元前1250年頃、ヘブル人をエジプトから脱出させ、シナイ山で神ヤハウェと契約を結んで『十戒』を作ったことがユダヤ教の最初だから、ゾロアスター教の方が最初に存在しているという見方が出来る。
まあ実際にはこのゾロアスターというのは分からないところが多く、紀元前1600年頃とは書いたが、近年の研究では、紀元前10世紀から紀元前11世紀にかけて活躍したとも言われていて、研究者によって異なる。たとえば、紀元前1750年から紀元前1500年にかけて、また紀元前1400年から紀元前1200年にかけて、イランの伝統では紀元前570年頃、パーシー教では紀元前6000年より以前ともされるので、いつ生まれたのかは不明である。
[ラファエロ作『アテナイの学堂』(部分)。天空儀を持っている人物がザラスシュトラ]
ゾロアスターの様々な呼称
ちなみにニーチェは『ツラトゥスゥトラはかく語りき(ゾロアスターはこう語った)』という本を出していることで有名である。
とにかくこのゾロアスターは、アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)にとっても重要な存在となるわけだが、彼が始めたこの『ゾロアスター教』でまつる全知全能の神の名前を、『アフラ・マツダ(アフラ・マズダー)』と言う。『マツダ』という名前なので、日本人かと思うかもしれないが、それとは無関係である。
かつてのゼネラル・エレクトリックの電球のブランドだったマツダランプ(日本では提携先の東芝の製品が名乗った)、自動車メーカーのマツダの綴り「Mazda」はここから取ったといわれている。
このゾロアスター教は二元論的一神教である。それはつまり、『宇宙のすべてが善悪2つで説明できる』という考え方だ。
一例
ゾロアスター教の考え方を分かりやすくまとめてみよう。
こういうシナリオが想像されたわけである。そしてこのゾロアスター教が最も大きな影響を与えたのは、『死者への審判』である。『世界の神話 神話の生成と各地の神話。神々と英雄の活躍』にはこうある。
他の民族の神話や死者に対する一般的な振る舞いは、善悪にかかわりなく死者は冥府に行くとみたのに比べ、ゾロアスター教では冥府に行く前に死者の霊魂が審判を受け、天国と地獄に分かれるという明らかな概念が示された。ゾロアスター教の信仰には死者が必ず渡らねばならないチンワト橋がある。この橋は大地の真ん中からにょっきりと突き出し、アルブルジュ山の頂から天に向かって伸びている。橋を渡ると天国があるが、下は地獄になっている。善なる者が通るときは橋の幅が広がり、たやすく通れる。悪人が渡る時は橋は刀の刃のように狭まり、下に落ちるしかない。橋から落ちた悪人は永遠に苦しむ。
ソクラテスやガンジーが言ったように、死んだあとは、むしろ幸せになるような考え方は多く存在した。例えば現在でも、香港やどこかの地域では、死んだら葬式はお祝い事のように祝う習慣があるが、そのように、死ぬことは必ずしも嫌なことではないという考え方は、たくさんあったわけだ。しかし、このゾロアスター教の考え方が登場してから、生きているときの行いが死後の行き場所を決める、という考え方が広く受け入れられるようになった。
さて、『ドラゴンボール』の読者なら全員が驚いたことだろう。まさしく、悟空がラディッツとの闘いのときにピッコロの魔貫光殺砲で死んだとき、まず最初に行ったのが、閻魔大王のところだった。そこで悟空が見たのは、閻魔大王に『天国と地獄』のどちらに行くべきかを判断される、霊魂の行列である。
[ドラゴンボール 集英社 バードスタジオ]
ゾロアスター教のシナリオ | ドラゴンボールのシナリオ |
死者の霊魂を裁く者 | 閻魔大王 |
チンワト橋 | 蛇の道 |
天国 | 界王星 |
地獄 | 地獄 |
『ドラゴンボール』はまさしくこのゾロアスター教のシナリオを採用していたのである。
このゾロアスター教の『死んだら霊魂が審判を受け、生きているときに善人だった者は天国に行き、悪人だったら地獄に行く』という考え方が登場したことにより、この世に『天国と地獄』が想像されたのである。それまでは、善悪に関係なく、死んだら冥府に行くという考え方だったのだ。
死後の世界のこと。黄泉、冥界等とも言う。
私は冒頭に張った『地球平面』の記事で、
という考え方を展開したが、今回の参考書ではその『下』には『闇』が連想できるからということが書いてある。光の対極にあるのは闇だ。それ故、悪人は地下に行くという考え方があったのである。そこに、この『地球平面説』の考え方も相まって、天国が上にあり、地獄が下にあり、善人と悪人が死後に行く場所が、少しずつ想像されていったのだろう。
つまり、最初に死んだら『天国か地獄』へ行く、と考えた人は、わかっていない。ゾロアスター教の登場で、死後にそのどちらかに行くという考えは広まったが、最初に『天国と地獄』を想像したのはゾロアスターとは限らないのである。このような様々な『人間の無知』が想像力をかきたたせ、時間をかけてそういう異世界を作り上げていったのである。
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