『死後の審判』って何?わかりやすく簡潔に教えて!
様々な神話や宗教で採用されている死後の考え方です。
神話や宗教で『死後の世界』を考える必要がありました。
そこで、『善悪にかかわりなく死者は冥府に行く』とか、『冥府に行く前に死者の霊魂が審判を受け、天国と地獄に分かれる』といったような考え方が各地で生まれたというわけです。
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この話の続きだ。その記事では、ゾロアスター教が登場して、生きているときの行いが死後の行き場所を決める、という考え方が広く受け入れられるようになったことについてをまとめた。
他の民族の神話や死者に対する一般的な振る舞い | 善悪にかかわりなく死者は冥府に行く |
ゾロアスター教の考え方 | 冥府に行く前に死者の霊魂が審判を受け、天国と地獄に分かれる |
そして、『ドラゴンボール』がまさにこのゾロアスター教の考え方を採用しているということについても書いた。
[ドラゴンボール 集英社 バードスタジオ]
ゾロアスター教のシナリオ | ドラゴンボールのシナリオ |
死者の霊魂を裁く者 | 閻魔大王 |
チンワト橋 | 蛇の道 |
天国 | 界王星 |
地獄 | 地獄 |
しかし実は、『死後に審判を受ける』という発想は、ゾロアスター教以外のあらゆる神話や宗教にも見られた。ここで出てくるのは、
の考え方だが、例えばエジプト神話であれば『紀元前3000年』頃からある古代エジプト人が作った神話であり、ヒンズー教は、その前段階のバラモン教が『紀元前2500年』頃からあるものだから、『紀元前紀元前1600年』頃から始まったと言われるゾロアスター教が『天国と地獄』の発想をしたというのも、一体どこまでが本当なのかわからなくなる。しかし、パーシー教ではこのゾロアスター教は『紀元前6000年より以前』ともされるので、ゾロアスター教はかなり古いのは確かだ。だが、公に認められている『最初の宗教』は、紀元前2500年頃からあるとされるバラモン教である。
古代エジプトの考え方はこうだ。
[オシリス(左)とアメミット(台座の上に乗っているワニっぽい獣)]
中国人はこう考える。
[地獄の法廷を描いた中国の仏画]
この橋から落ちた者は『地獄のような場所』に堕ちるわけだが、この発想はゾロアスター教の『チンワト橋』のその考え方と瓜二つである。そして、閻魔大王が出てくるあたりを考えると、『ドラゴンボール』はゾロアスター教にも、中国の考え方にも影響されていると言えるだろう。日本にもこの考え方は一部受け継がれている。『ドラゴンボール』は、破壊神ビルスが出てくるあたりを考えても、ヒンズー教の考え方も交じっている。恐らく、この世にあるあらゆる神話や宗教の考え方をごちゃ混ぜにしたのだろう。
ヒンズー教にも審判はあるが、『死後には天国か地獄のどちらかに行く』という発想ではなく、『輪廻』の考え方をする。輪廻(りんね)とは、いわゆる『生まれ変わり』である。死んでも人は何らかの形で生まれ変わり、この世に戻ってくる。動物になることもあるし、身分が上がることもある。
『君の名は。』のようにロマンチックに輪廻を考えることができるのは、日本人が、本当の輪廻の負の連鎖に苦しむインド等のヒンズー教が根付いている地域とは、無関係の環境で生きているからかもしれない。
あの地域に住む人の根底に潜む『カースト制度』というのは、人間の間に格差をつける発想。奴隷の身分で生まれたら、永遠に奴隷として生きなければならない。そういう考え方に異を唱えたのが、ブッダ(釈迦)なのである。
業(カルマ。やった行い。悪いことをすれば、悪いカルマ)は受け継がれるという発想の、輪廻(生まれ変わり)の発想による理不尽な身分差別があってはならない。このことについて一発で理解出来る話がこれだ。
『ロウソクについていた火が、消えた。だから新しく、つけた。だが、その火がどうしてさっきまでの火と同じものだと言えよう。』
我々はたった一度の人生を生きているのだ(天上天下唯我独尊であるべきなのだ)。彼は、そう主張したのである。『仏教』の誕生である。
宗教に関する話はまた違う記事で書こう。今回は、あらゆる神話や宗教で共通する『死後の審判』についてまとめた。
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