上記の記事の続きだ。とにかくこのようにして人は人の上に『神』を想像し、統率を図り、秩序を作ろうとしてきた。そして神話から宗教へと移り変わっていき、世界6大宗教をはじめとする様々な宗教が生まれていった。
世界6大宗教
また人間は、神話が支配している時代に、
という概念を生み出した。
生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、 もしくは霊が宿っているという考え方。例えば、風の神、水の神等。
各集団が特定の動物や植物などをトーテムとして崇める信仰のこと。『我が守護神のタカを恐れよ!』
シャーマン(巫師・祈祷師)の能力により成立している宗教や宗教現象の総称。『神霊が憑依した』
厳密には違うが、日本の八百万の神の発想は、アニミズムと似たようなものだ。とにかく『神』が想像されたのは、
という2つの大きなポイントが影響していると考えられる。しかしこれら『~ズム』は、現代の人間が考えると、
となる。そういう風に、知能の発達と知識の増大とともに、徐々に真理以外の誤謬が排除されていって、真理の輪郭が見えるようになってくるのである。
間違い。誤った判断。
バックミンスター・フラーの著書、『クリティカル・パス』にはこうある。
神のみが完璧であり、まさしく真実そのものであることを感じる。それ以外の誤謬を徐々に排除していくことによって、われわれはこれまでより神に近づくことができるにすぎない。真実を愛することによって、われわれは神にもっとも近づくことができる。
この本には私が言いたいことと全く同じことが書いてある。ここでは『神』という言葉を使っているからややこしいが、『神=真理』という図式を理解することによって、今回の話とピタリ同じことを言っているということがよくわかるはずだ。だからこそこの図式を理解することが何より重要なのである。
例えばこの『~ズム』にはまだこういうものがある。『世界がわかる宗教社会学 入門』にはこうある。
タントリズムの世界
密教はその後、ヒンズー教と混淆して、インドから仏教は消えてしまいます。密教の流れをくむタントリズムは、『しりん』(墓地の裏手の荒れ地)で男女抱合の儀式を行いサンヴァラ(性的合一による至高の快楽)を得る、という怪しげなものでした。地面の上に曼荼羅を描き、般若=女性、方便=男性、菩提心=男女の抱合という象徴方程式を立てて、集団的に男女が抱合します。この儀式専門の、『だきに』という秘教集団の女性もいました。このように、性的快楽を、密教にいう『成仏を確信する方法』に採用したのがタントリズムです。そのほかに、
- 殺生
- 妄語
- 盗
- 淫
- 糞尿食
など、仏教の戒と反対のことを故意に行う修行法まで現われました。
このタントリズムを見て、どれだけの人がここに『真理』を見出すだろうか。
と思うのであれば、病院に入院することを推奨する。これらはまさに『排除される対象』。つまり、真理とは全く関係のない『人間が勝手に作り出したもの』なのである。人間というのは、殺人も盗みも平気でやる。狩猟採集時代では、食べ物がなかったら人を襲い略奪し、その過程で人を死なすこともあった。一夫一妻が当たり前になるまでは、そこら中で性行為も行われた。
人間は動物や昆虫と違って元々高い知能を持って生まれている。その知能を使いこなして真理ではないものを排除していき、真理の輪郭を見つけていくことが求められている。しかし、初期の人間は、その知能を使いこなせず、『暴走』させてしまっていた。さしずめ、身分不相応に大金を持った愚かな金持ちの二代目のようなものである。力を使いこなすことができないから、その力を持っている意味を過信、かつ盲信し、人の道に逸れた行為をしても大丈夫だと判断してしまうのである。
分かりやすいのは映画『キング・オブ・マンハッタン危険な賭け』だ。
事業は順調。幸せな家庭もある。そして、『愛人』もいる。何もかも順調なはずだった。自分にはこれだけの要素の中でうまく立ち回れる才能と才覚がある。自分は選ばれた人間なのだ。自分には特権が与えられているのだ。心底でそう考えていた彼は、ある時、その運命の歯車を大きく狂わせる事故に遭う。このままではまずい。すべてが終わってしまう。そんな時彼はこう思った。
そうだ。昔世話をしたあいつに金を払って身代わりになってもらえれば…
このように、人は道を逸れようと思えばどこまででも逸れることができる。動物や昆虫はそうはしない。恐らく彼らには、『他の選択肢が自分にある』ということを気づけないのだ。ある一定の範囲の外に出てしまうと自分の生命が危機にさらされる。すると種が残せない。生命にとってそれは最大の問題。植物にしろ何にしろ、自分の種の保存こそはその一生における『使命』に相応しいと、DNAに植え付けられているように見える。
とにかくこのようにして人はその高い知能があるがゆえに、故意的に真理から逸れた行動を取ることができるが、その逆で、真理に近づく行動を取ることもできる、地球上では唯一の動物である。このタントリズムは間違いなく真理から逸れた行動である。ではなぜそれをそう決めつけられるかというと、一番わかりやすい説明こそが、『虚無に近づく』からである。
真理から逸れれば逸れるほど、虚無に近づく。
このようにして人は真理以外の誤謬を排除していくことによって、真理の実態に近づくことができるのである。バックミンスター・フラーは『われわれはこれまでより神に近づくことができるにすぎない』と言って、それでも人は永久に真理の実態を把握することはできないと言っている。それは私も同意見である。我々は、『真理の輪郭を見つける』ことができるだけであって、真理と一体になれることは永久にあり得ないのである。
概要。物事の大体のありさま。
しかし分かっていることがある。それは、真理から逸れれば逸れるほど、虚無に近づくということである。人はこの『サイン』を道標にしながら、真理を導き出していくことができる、地球上唯一の生物なのである。