『人間の最初の宗教』はどんなものだった?わかりやすく簡潔に教えて!
得体の知れない大自然を恐れ、敬う心から『最初の宗教(原始宗教)』が始まりました。
人は昔、動物と同程度の知能しかありませんでした。
ですから、雷や稲妻、洪水のような自然な変化は、何か恐ろしい偉大な存在が自然の秩序を操るものだと信じました。『人間の知能は動物とほとんど変わらなかった。自然についての知識はほとんどなかったので、自然のすべての変化が神秘と畏敬の対象だった』。これが神話の始まりなわけです。
そして神話が『宗教』へと変わっていきます。宗教というのは英語で『religion』と言いますが、これはフランス語でもドイツ語でも同じです。これはラテン語の『religio』に由来し、『神と人をつなげる』という意味があります。したがって、神話で神(創造の範疇を超えた巨大で偉大な存在)を敬う、という行為自体は『宗教』と言えます。そう考えると、宗教は神話と同時代に生まれたと考えることができます。
上記の記事までに『神話』についての話はほぼまとめた。ここからは『宗教編』である。まずは人間にとっての一番最初の宗教『原始宗教』である。
原始時代、つまりあまり記録がない時代にあった宗教。
実は、神話編の下記の記事で書いたように、この原始宗教も似たような始まりとなる。
原始時代(狩猟採集時代) | 紀元前5000年以前 |
農耕社会(奴隷制社会) | 紀元前5000年~ |
そこにも書いたように、当時の人たちの心の動きを見てみよう。
生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、 もしくは霊が宿っているという考え方。例えば、風の神、水の神等。
各集団が特定の動物や植物などをトーテムとして崇める信仰のこと。『我が守護神のタカを恐れよ!』
シャーマン(巫師・祈祷師)の能力により成立している宗教や宗教現象の総称。『神霊が憑依した』
『人間の知能は動物とほとんど変わらなかった。自然についての知識はほとんどなかったので、自然のすべての変化が神秘と畏敬の対象だった』。これが神話の始まりというわけである。
しかし、この原始宗教というものは、ほとんど神話と境界線がない。当時の人が、
と言い争うことは当然なかった。まず言葉もそこまで発達していない。知能が動物程度なんだから、そういうことにはならない。『宗教』というのは英語で『religion』と言うが、これはフランス語でもドイツ語でも同じだ。これはラテン語の『religio』に由来し、『神と人をつなげる』という意味がある。したがって、神話で神(創造の範疇を超えた巨大で偉大な存在)を敬う、という行為自体は『宗教』と言えるのである。
先ほどの流れの最後にそれを加えてみよう。
つまり、神話も宗教もそう大差はないということだ。例えばソクラテスは、今や神話の基本であるギリシャの神々を信じていたが、そこにあったのは『宗教』だったと言えるのである。
ゼウス、ポセイドン、ハデスといった神々。
つまり、先ほど考えたアニミズム、トーテミズム、シャーマニズムというのはすべて『神話と宗教が混じったもの』と言えるのである。しかしどちらかというとそれらによって人が『神と繋がろうとする』行為は、ここで考えてわかるように『宗教(religion)』だと言えるだろう。
上記の記事で、『神話』が『宗教』へと変わっていったと書いた。それは本当だ。まず最初に神話があり、そしてそれが宗教へと変わっていく。
このような流れがあった。しかし実際には、雷や地震等を受け、
きっとこういう存在がいて、お怒りになっているんだ!
などと、イメージした段階でそこには『神話』があり、そしてそこで想像された『神』と『つながる行為』が『宗教(religion)』なのである。そう考えると原始時代に生まれた原始宗教というのは、同じ時期に生まれた神話と、ほぼ境界線がないということがわかってくる。
先ほど挙げた『アニミズム』等の形は原始宗教である。
アニミズム | 森羅万象に魂があり、神がいる |
シャーマニズム | 目に見えない超自然的な力がシャーマンに乗り移る |
トーテミズム | 目に見える動植物がやってくれる |
とにかくこのような原始宗教は、神話と同じように、自然の力への恐れから生まれたものである。しかし原始宗教の一番の特徴は、善悪の概念がなく、来世への祈りと期待を重要視しないことだ。それが、今後生まれていく様々な世界的宗教の教えの、大きなキーワードとなる。
上記の記事に書いた流れを見てみよう。原始時代の階級もない、平等な原子共同体の社会では、今よりももっと動物に近い生き方をしていた。そのあたりで性行為が行われ、獲物がなければ餓死していたし、餓死から逃れるために、人を襲って強奪し、命を奪うこともあった。やがて人間の集団生活の規模が大きくなり、徐々に人間の暮らしにも変化が起き始める。
つまり、原始時代にはあまり『善悪』とか『死後』とか『階級』のことには興味はなかった。なぜなら、それらを考えなくても生きていけたからであり、同時に『よくわからなかった』からだ。しかし、そのようにして人間社会に『階級』や『ルール』ができるようになると、こういうメリットとデメリットが生まれた。
メリット | 生産力が上がった(農業技術の発達等) |
デメリット | 階級が生まれた |
つまり、このあたりから今で言う『仕事』のようなものができるわけだが、そうするとやはりその仕事をうまくこなせる人と、そうじゃない人が出てくるようになる。この時代でも労働力は『人』であり、どれだけその労働力を有するかによって、やはり人と人との間に力の格差がついてくるようになる。そしてつい最近でもいまだに戦争が行われているのを見てもわかるように、やはりこの時代でもそういう争いは絶えなかった。
このようにして、最初は平等だったはずの社会に『不平等』が起きるようになった。ルソーが書いた著書『人間不平等起源論』の文中にはこうある。
「人間が一人でできる仕事(中略)に専念しているかぎり、人間の本性によって可能なかぎり自由で、健康で、善良で、幸福に生き、(中略)しかし、一人の人間がほかの人間の助けを必要とし、たった一人のために二人分の蓄えをもつことが有益だと気がつくとすぐに、平等は消え去り、私有が導入され、労働が必要となり、(中略)奴隷状態と悲惨とが芽ばえ、成長するのが見られたのであった」
上記の記事に書いたように、ピラミッドが作られたような紀元前2500年あたりの時代では、『22歳』程度で人々は命を終えていくのだった。まるでその命は『消耗品』であり、奴隷としても、生贄としても、その他の動物と同じような扱いを受けた。『上に立つ者』以外の人間の命の尊厳は、とても低かったのである。
もし寿命が『22歳』でこの世の生活が『苦あるのみ』であれば人は何を想う?
彼らのように、
きっと来世は良いものであるに違いない
きっと彼ら(ファラオ)の上に、更なる『上に立つ者』がいて、その人が平等にジャッジしてくれるに違いない
と思うだろう。ニーチェは、『ルサンチマン(弱者の強者への嫉み)』の感情のせいで、人間が唯一無二の人生を台無しにすることを嘆いた。キリスト教もそうした人間のルサンチマンから始まったのだと。
自分の上に裕福な人や権力者がいて、自分たちにはこの人間関係、主従関係をどうすることもできない。だが、その人たちの上に、神がいると考えれば救いが見出せる。神がいれば必ずこの不公平な世の中を、公正に判断してくれるからだ。
そういうルサンチマンたる感情からこの世にキリスト教が生まれ、イエスを『主』として崇めるようになったのだと。このあたりの人の心の動きを押さえることで、この世界にどのようにして宗教が生まれ、そしてそれが根深く蔓延していったのかということが見えてくるようになる。
支配する者 | 来世もまた権力を維持したいと願う |
支配される者 | 来世は今よりも良い境遇であるように願う |
まずはここまでにしておこう。とにかく原始宗教の一番の特徴は、善悪の概念がなく、来世への祈りと期待を重要視しないことだ。しかしそれが『古代宗教』、『世界宗教』へと発展していくにつれて、そのあたりの内容に触れるようになってくる。その理由は今見たとおりだ。この人間世界に階級が出来るようになったからである。次の記事につづく。
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参考文献