老化によって睡眠はどう変わっていく?
睡眠の質は落ち、眠りも浅くなります。
しかし人も含めたあらゆる生命には寿命があり、最期には命を終えます。人は生まれたときから老化が進んでいて、死に向かって準備を始めているとも言えます。ですから、睡眠の質だけじゃなく、何もかもが衰退していきます。まるで花が枯れていくように、その命を終えるのです。それについて憂う必要はありません。『最初からそうなっている』と考えて、余生を悔いなく生きることに目を向けたいものですね。
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老化によって人はよく眠れなくなったり、朝早くに起きてしまうと言われることがありますが、それは本当でしょうか。では不眠の種類を見てみましょう。
不眠の種類
入眠障害 | 床についてから30分以上寝つけない |
---|---|
中途覚醒 | 夜中に何度も目が覚める。再び眠るまでに時間がかかることが多い |
早朝覚醒 | 予定の起床時間より2時間以上早く目が覚める |
熟眠障害 | 長く眠ったとしてもぐっすり眠ったという感じが得られない |
このうち『中途覚醒』や『早朝覚醒』は加齢に伴って増えると言われています。しかも年代が上がるにつれて増えてくる傾向があります。『ササッとわかる「睡眠障害」解消法』にはこうあります。
中途覚醒が増えるのは、年齢を重ねるにつれて生理的に眠りが浅くなるため。早期覚醒は、高齢になると生活時間帯が前倒しになりやすく、その結果、夜は早くから眠くなり、朝早く目覚めてしまうことも一因と考えられます。
例えば中途覚醒の中には『夜間頻尿(夜中におしっこで起きる)』も含まれますが、その他にも以下のような理由が考えられます。
中途覚醒
早期覚醒
このうち、高齢者に多いのはやはり『日中の運動量の低下』でしょうか。やはり日中たくさん動いた人は疲労していますから寝つきがよくなりますよね。ただし、
などが影響して睡眠が浅くなると考えられていますが、実際のところはハッキリ原因はわかっていません。
子供→成人→高齢者
の順番で眠りは浅くなるというのが一般的な考え方です。子供のころの睡眠は、
をしっかりと3~4段階繰り返して行われ、ノンレム睡眠がたっぷりと取れることから熟睡できるのですが、成熟するにつれてこのリズムが狂いだし、『深い眠り』の『ノンレム睡眠』が十分に取れず、睡眠の質が低下してしまうと考えられています。
『お酒や薬に頼らない「必ず眠れる」技術』にはこうあります。
お年寄りの早起き、実はすっきりしていない
(省略)あれだけ早起きしていながら、意外と熟眠感を感じてはいません。むしろ逆で、頭はすっきりしていないのです。なぜでしょう。それは年齢とともに睡眠時間全体が短くなり、レム睡眠もノンレム睡眠も減り、深い眠りが減ってしまうからです。特に第Ⅳ段階の睡眠は大幅に減ってしまいいます。これは加齢にともなう生理的な現象で、避けることができません。若い頃は睡眠中に成長ホルモンが分泌されるように、睡眠が成長に不可欠ですが、高齢者ではすでに成長が終わっているので、睡眠自体がさほど必要なくなるのです。
『第Ⅳ段階』というのは、深さを表しています。第Ⅰ~Ⅳまであり、Ⅳが一番深い眠りです。先ほどは『実際のところはハッキリ原因はわかっていない』と言いましたが、それは違う参考文献にあったものを記述しました。しかしこの参考文献の場合は『高齢者ではすでに成長が終わっているので、睡眠自体がさほど必要なくなる』とありますね。これだけで説明が済んでいるような気もします。加えて、
が加わって睡眠は障害されるとありますが、確かに睡眠時無呼吸症候群らと違って、これらの問題は加齢とともにリスクが増えるものですから、こうした問題が重なれば睡眠に悩まされることが多くなると言えます。例えば室内に、
などがあると仮定しましょう。『肥満外来の女医が教える熟睡して痩せる「3・3・7」睡眠ダイエット』にはこうあります。
寝室を片付ければぐっすり眠れる
(省略)その中で眠ろうとすれば、必然的に眠っている間、呼吸をするたびに汚れた空気を体内に取り込んでしまうことになります。ところがもともと私たちの体には、侵入してきた異物は外に出そうとする働きが備わっています。そうなると寝ている間も吸い込んでしまった汚れた空気を体外へ排出しようと体が反応して活動をはじめるので、自然と眠りが浅くなってしまうのです。
私はハウスダストアレルギーですが、そのせいで室内が乾燥していたり、ホコリが舞っているとくしゃみが止まらなくなり、睡眠どころではなくなります。同じように、『花粉症』などもそうです。ですから花粉症に悩まされる人は、外出先から帰宅した場合は必ず衣服や髪の毛等についた花粉をすべてきれいに掃除する必要があります。室内に空気清浄機を設備することは必須となるでしょう。
ここで注目したいのは『寝ている間も吸い込んでしまった汚れた空気を体外へ排出しようと体が反応して活動をはじめるので、自然と眠りが浅くなってしまう』という部分。つまり人間は、『睡眠の邪魔をする要素が一切ない状態』でなければ、最高の熟眠感は得られないということになります。加齢によって体の節々に違和感が出るようになれば、もちろんそれだけでも熟眠を妨げる要因となるでしょう。また、夜間頻尿や、先ほどあったような病気や問題が頻繁に起こるようになれば、それだけでも熟眠感は得られません。
『お酒や薬に頼らない「必ず眠れる」技術』にはこうあります。
お年寄りで不眠を訴える方の典型は、次のようです。『最近、寝付くのにやたらと時間がかかるんです。寝付いても2,3時間ですぐに目が覚めてしまい、おしっこに行きます。二度も三度も行くことだってあります。それからがどうしても眠れなくて。そのくせ、朝や4時か5時に目が覚めてしまうんですよ。
この例も夜間頻尿によって睡眠を妨げられているようですね。子供のころは尿意があったっとき、『おねしょ』をしてでもそのまま眠ってしまいますから、その頃と比べればそのたびにトイレに行くことは、人として立派だと言えます。しかし、こと熟眠感ということで言うと、堂々とベッドの中でおねしょをしてでも睡眠を取る子供の方が、よく得られているということになりますね。
よく、『鈍感で、豪快で、器が大きい人』は、いびきをグースカかきながら、いつでもどこでも寝られると言いますが、実はそれは言い方を変えると『無神経で無責任で自己中心的』だから寝られるのであり、そのままその人が寝すぎて寝坊をしたり、あるいはいびきによって人に迷惑をかけても、その人はそれを気にしないわけです。
先ほどから考えているように、熟眠というのは『睡眠のこと以外は何も気にしない状態』があってこそ得られるのであって、例えば責任ある立場にある人が『何も気にしない状態』になることはできるでしょうか。例えば子供がいて、いざという時には自分が誰よりも早く起きて、地震が起きても、火事になっても、どんなことがあっても責任をもって対応したいと考えている人は、『睡眠のこと以外は何も気にしない状態』になることはないでしょう。ですから、その『高齢になると色々と眠れなくなる』とか、『夜間頻尿でトイレに行く回数が多い』というのは、私個人的には、
それが大人だ
と感じますね。もし自分が子供だったら、ベッドでおねしょをしたり、いつまでもグースカ眠って寝坊ばかりしている大人を見たくありませんし、しっかりした大人がいてくれたら自分が安心してぐっすり眠れます。
ある家族の話ですが、とあるテレビ番組が中学生くらいの少女に街頭インタビューをして、『両親の直してほしいところをはないか』と尋ねたところ、少女は友達もいたからか、少し面白おかしく、
と言いました。番組はその少女の家族に会いに行くことにし、そのことについて家族同士で話してみるように提案しました。すると少女は見栄を張る友達もいなくなったことから先ほどよりも真剣な表情をし、
と、子供ながらに父親を思いやりました。娘がいないところで父親は言いました。
この話が『やらせ』かどうだかったかはわかりませんが、この番組は本当にあったものです。私は感動しましたね。たとえやらせだったとしても、それは小説や映画だって同じこと。私は映画でたくさん感動してきました。
つまり、その家族そのものに依存していたらそれが『やらせ』だったときにがっかりしたかもしれませんが、私はこの『話自体』に感動したのです。その通りだと思ったし、とても美しい家族愛だと感じました。何かあったら救急車を呼べばいい。だけど、救急車よりも早く子供を病院に運びたい。それに、酔っ払って意識が酩酊していたら、いざというときに起きるに起きれないし、しっかりした対応なんてできない。そう考えて、結果的に『家でお酒は飲まない』ことを決めたその父親に、私は拍手を送りたいですね。
『高齢になると色々と眠れなくなる』かもしれません。それはもちろん、病気や体の不調などの物理的な問題もたくさん関係してくるでしょう。しかし、逆にそのような不調が頻発するようになったり、夜間頻尿できちんとトイレに行って用を足したり、朝ちゃんと起きたりするところに私は『責任』を感じます。そういう『大人』は、人としてともて立派なのではないでしょうか。
さて、では高齢者になると睡眠時間は具体的にどれくらい減ってしまうのでしょうか。それはもちろん『人による』という答えになります。私の知人には70歳を過ぎても現役で働いている社長がいますから、その人は若い頃から同じようなリズムで生活しているように見えます。しかし、セオリー的な話はあります。『図解雑学 睡眠のしくみ』にはこうあります。
年齢の推移に見る睡眠時間の変化
(省略)ただし、思春期から青年期にかけても、深いノンレム睡眠が多くあらわれるパターンが続くため、睡眠総量は減るものの質のよい眠りを得られる。その後、数十年間は約7時間半前後の睡眠が続くが、中高年になると睡眠の質そのものに劣化が目立ち始める。この傾向は加齢とともに進み、老人になると程度の差はあるが眠りが浅くなり、夜中に何度も目が覚めるようになるのだ。この原因は高齢化にともなう脳の劣化のため、深い睡眠を作る力がなくなることが原因と言われており、概日リズムがずれることで早寝早起きになるのである。ただし、老人になると睡眠時間は8時間程度に増加する。これは、深い睡眠を長く摂るようになるためで、老人になると睡眠時間が短くなるというのは間違いなのだ。
約24時間周期で変動する生理現象で、動物、植物、菌類、藻類などほとんどの生物に存在している。人間の場合、『24時間と数分』のリズムが内在していて、実際のリズムと数分ずれている。
『老人になると睡眠時間は8時間程度に増加する』とありますね。では、それぞれの年齢別で平均睡眠総量を見てみましょう。
年齢・世代別に見る1日の平均睡眠総量
乳幼児 | 17~18時間 |
---|---|
3~4歳 | 10~12時間 |
10歳前後 | 9~10時間 |
成人 | 7時間半 |
老年 | 8時間 |
睡眠時間で言うと、実は成人よりも長くなるんですね。しかしこれはあくまでも浅い睡眠を長くとるようになるということで、睡眠の質は低下していることになります。先ほども言ったように、『中途覚醒』や『早朝覚醒』が増えてしまうと、トータルの睡眠時間は長くても、熟眠感は低いということになります。
さて、今までは『老化によって起きる様々な問題に、大人として責任をもって対処する姿勢』について、ポジティブに考えてきました。しかしここで考えるべきなのは、
『高齢化にともない脳が劣化し、概日リズムがずれてくると、夜中に何度も起きたり、早寝早起きになってしまう』
ということについてです。つまり、大人の責任として起きるのではなく、『脳の劣化』によって起きてしまう。たしかに、認知症や老人性うつ病等も含めて考えると、老人の早寝早起きが必ずしも大人の責任としての行為とは言い切れません。
『お酒や薬に頼らない「必ず眠れる」技術』にはこうあります。
早起きのお年寄りは健康そうに見えますが、心身両面にわたるさまざまな要因によってその睡眠は決して快適ではないのです。
やはり高齢者には若者にはわからない、体の不調による悩みがあるのです。ただ、実際にはそうかもしれませんが、しかしそれでも生きることができます。できるし、それにいざとなったらそういう大人は、子供を助けてくれる。責任を理解しているから、おねしょをせずにトイレに行くわけですからね。そこはポジティブに考えたいものです。
そもそも、人は必ず死にますからね。私は無宗教ですが、ブッダは言いました。
時間は流れ、宇宙はうごめき、命の火は消え、物質は分かれる。風は吹き荒れ、大地は鳴り響き、海は揺らいで、炎は燃え盛る。
この世は全て、流動変化しています。それが諸行無常という言葉の意味です。我々は生まれたときから、老化に向かっています。不老不死になることはできないし、赤ん坊のような初々しさを永遠に保つことなどできません。ブッダは『しがみつく、執着こそが罪だ』と言いました。執着さえなければ、この世におけるありとあらゆる悩み、苦しみから解放されます。どうにもできないことは、どうにもできないのです。むしろ、一人間の思い通りにしようと思うことなど、思い上がりなのです。
ですから、年を重ねることも、それによって徐々に死に向かってエネルギーが減衰していくことも、最初から決まっていたことであり、目を逸らすことではないのです。かくいう私はまだ30代ですからこれ以上のことは言えませんが、こうした『真理』を心底から理解することで、老化による様々な問題を受け止めることができるようになるでしょう。
『お酒や薬に頼らない「必ず眠れる」技術』にはこうあります。
深いノンレム睡眠が減る結果、お年寄りでは、若い頃のように熟眠感はなくなります。これは自然の摂理で仕方のないことなのですが、人は、なかなかそれを受け入れることができません。10代のころは夕方まででも熟眠できていたのが、30代を超えるとそうもいかなくなり、50代ともなると朝がつらくて仕方がありません。
ここに『人は、なかなかそれを受け入れることができない』とありますが、それは人それぞれの受け止め方次第ですからね。それらの老化現象を受け入れることができる人はいます。そしてそういう人はたとえ私のように仏教徒ではなくても、ブッダの言う『諸行無常』の意味をよく理解している人でしょう。
もちろんその真理を知る私も、抵抗がないと言えばうそになります。例えば30代を超えたとき、頬にニキビ痕が出来てしまいました。完璧主義者であり、それまで健康体であった私からすれば、それは到底受け入れられない事実でした。しかし、偶然にも人生についてたくさん考えてきた私は、それを受け入れるだけの知識と器を持ち合わせていました。最後にたどり着くのはこうした『執着を捨てる悟り』です。この覚悟と悟りは、別にブッダだけが得られるものではなく、ただこれを『理解』すれば誰にでも得られるものです。たとえ最初に抵抗を感じても、そのすぐ後に『知識』がそれを緩和してくれます。
ソクラテスは言いました。
まさに、『知は力なり』ということですね。人が老化によって最後には息絶えるということは、最初から決まっていたことなのです。その決定的な事実から目を逸らして生きていたか、そうじゃないかということが問われることになるでしょう。