古代ギリシャ哲学者 ソクラテス(画像)
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無罪なのにソクラテスは身を囚われ、裁判でこう言われたのだ。
それに対しソクラテスは、毅然とした態度で臨んだ。
『どんな刑?そうだな。むしろ、褒美を取らせるべきだ。』
ソクラテスは、無実の罪なのに逮捕し、裁判にかけ、挙句の果てには死刑を求刑しようとする、単なる『殺人集団』を前にして、媚を売ることも、真理から目を逸らすことも無かった。
『おそらくみなさんは、わたしが、強がりを言っているか、 またはヤケクソになり、皮肉っているようで、かわいげのないヤツだ、と怒りを覚えるだろう。だがね、そうではないのだ。』
確かに、裁判所に居合わせた聴衆に『悪気』はないのかもしれない。だが、『悪気』が無いからと言って人を殺していいはずがないだろう。ソクラテスはさぞかし苦労しただろう。周りに知者がいない。それは例えば、浅薄な人間から言わせれば確かに『孤独』だ。だがもちろん実際のそれは、『孤高』の間違いだ。
例えばソクラテスを愛する宮崎駿の話だ。彼も、多くを語らない。誰もが注目する引退の記者会見でも、その態度は変わらない。
彼曰く、
『僕は文化人じゃないんです。 町工場のおっさんなんです。』
とのこと。だが実は、最後の作品『風立ちぬ』の製作現場を映したある映像に、彼が『多くを語らない理由』が、垣間見えていた。スタッフの一人が主人公の声優のイメージを発言したのだが、作者である宮崎駿が抱いていた主人公の印象とは、全く別のものだったときのやりとりだ。
ハキハキと会議を進めるそのスタッフはもちろん『やり手』なのだろう。だが、だからといってその人が、『知者』であるということにはならない。
『どこか飛行機オタクっぽくて内気な性格』と捉えたやり手のスタッフ。『賢すぎて多くを語らないだけ』と把握していた宮崎駿。同じ人物を目の前にして、思う感想がこれだけ違うのだ。『ナスカの地上絵』が上空からしかその景色を把握できないように、『知性とはなにか?』ということを積み上げた人にしか見えない景色があるのだ。
私はそんな知者を『孤独』だと思うことは無い。むしろ、『高』い場所から秀麗な景色を眺めている、『孤高』の人に見える。
※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。