古代ギリシャ哲学者 ソクラテス(画像)
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ソクラテスは自分の命を決める裁判の、その弁明で言った。
『この貧しい善きことのみを行ったソクラテスに与えられるものは、刑罰ではない。 それとはまったく逆のもの。『ご褒美』であるべきなのだ。』
この話を思慮浅い人間が聞くと、ソクラテスに対してある種の傲慢さを覚えるだろう。私も10代の頃はそういう人間だった。
だが、『それこそ』がソクラテスの訴えるべく、真髄なのだ。ソクラテスは聴衆を煽り、一人一人自らの頭でもって、直面している現状を理解させようとするが、聴衆は『罵倒』する。
ソクラテスは無実の罪なのに、死刑を求刑された。そして、自分に合った刑は何かと聞かれ、
『何もクソもない。私は無実なのだから。』
と言ったのだ。そして、聴衆に懇願して生きながらえるようなことはしない。あるいは、
なぜなら、それは今まで自分がやってきたこと、信じて、説いて回ったことに反することであり、
からであり、
と思うからである。実際に無実の身なのに、無知な聴衆に対し、知性を教える立場でありながら、あるいは、死は善いことかもしれないのに、生きながらえるために懇願する。『そんな態度こそ無知』なのだ。
かつて私はよくこう言われた。
彼らが言う内容は浅薄で、『媚びへつらう』とか、『女を抱く』とか、『目をつぶる』とか、『表裏的に生きる』とか、そういうことが出来ないと『要領が悪い』と言うのだ。そしてその代償に『利益』を得て、金を儲け、『成功』し、成り上がるべき。 そうするべきだと、口を揃えて言うのだ。
私は今では自分の『違和感』に従ってそれらを断絶したことに誇りを持っている。なぜなら、かのソクラテスが私の意見と、同意見だったからだ。たとえ何億人の無知な人々に誤解されようと、たった1人の知者・賢者に理解されていれば、 私の心は、安堵する。
※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。