ソクラテス『吾輩はアブである。』

古代ギリシャ哲学者 ソクラテス画像

内省

自分は他人にとって、 どういう存在だと言えるだろうか。大体が『平和主義』という大義名分を盾に、良い香りがして美しい『花』にでもなるか、のんびりと湯船につかる『カピバラ』にでもなるか、誰からも頭をなでられる従順な『飼い犬』になる。つまり、人の評価を気にして表層的な評価に酔いしれるか、マイペースな人間を装って見て見ぬフリをするか、波風立てないように歯向かって食い下がらないか、そういう『平和主義』な生き方を望む者が多いだろう。

 

一見すると、それはとても平和だ。 世の中の人が皆そうだったらとてもいい。そもそも『見て見ぬフリ』という事態が無くなる。

 

ドイツ詩人シレジウスはこう言っている。

 

薔薇のように、生きている意味を葛藤せず、 理不尽に思わず、虚しさを覚えない存在なら、 我々は『戦争』などしないだろう。だがするではないか。その時点でもう、我々は『薔薇』ではないのだ。シレジウスの言葉は本来『人目を気にするな』という意味だが、 今回の捉え方はこうだ。

 

薔薇はそうだ。だが、我々は薔薇じゃない。では、隣で罪のない子供が理不尽な暴漢によって襲われるまさにそのとき、 薔薇は何をする?そう。

 

『薔薇は何故という理由もなく咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない。ひとが見ているかどうかも気にしない。』

 

何と残酷なのだろうか。綺麗なように見えるのは、『自分だけが生きている場合のみ』だ。他人も大勢生きていて、争いや軋轢や不和があって、混沌としていてトラブルだらけのこの理不尽な世の中で、 それを創り出している人間という同じ仲間に生まれた運命で、『花』や『カピバラ』や『犬』のように生きていく。それについて、一度じっくりと考えるべきである。

 

ソクラテスは言った。

『吾輩はアブである。私は馬を目覚めさせようと、馬の周りをブンブン飛び、 馬の背中や鼻の先やときにはしっぽにくっついて、くすぐったり、チクチク刺すなど、いろいろとやってみたのだ。だが、寝込むところを邪魔され、怒り狂った馬は、『邪魔なアブ』を一口で飲み殺そうと企む。』

 

なぜ『邪魔』だと思ったのか?なぜソクラテスは『アブを買って出た』のか?我々は、人間なのである。薔薇ではないのだ。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

関連する『黄金律

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