古代ギリシャ哲学者 ソクラテス(画像)
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内省
ミエ(見栄)は張るものじゃない。切る(見得)ものだ。どうせ張るなら、意地を張れ。だがソクラテスの場合は、意地を張ったわけではない。『知性を貫いた』のだ。私はようやく10年以上前から思っていた疑問の答えを、断固として答える人間に出会った。
ソクラテスだ。
私は髪を染めていた頃、就職や社会の為に『黒く染める』ことや、『七三分けが印象がいい』などという常識に、納得することが出来なかった。その他にも、『満員電車に乗ることは日本の社会人の常識』だとか、『社交辞令が出来ない人間は、子供』だとか、どれもこれも体裁を気にした話ばかり。そのくせ、中身が伴っていない人間ばかりではないか。(もちろん自分もだ)
だがそれが明らかに蔓延していて、それに反する者は、問答無用で反社会的な評価の烙印を押される風潮があった。
なぜ外見にそこまでこだわらなければいけないんだろう。外見を整えるということは、『嘘』じゃないか。本人の意志じゃないんだ。偽っている。社会に、大人に認めてもらう為には自分を偽らなければならないのか。
だとしたら、自分のこの『意志』は、なんなんだろう。無くてもよかったんじゃないか。ある意味がないんじゃないか。等身大の自分で生きられず、自分を曲げて生きる人生に、俺は魅力を感じることが出来ない。
とまあ、ここまでの葛藤を思春期に抱く者は珍しくないだろう。だが、私の場合はその意志を『未だに』抱いて生きている。『ザッポスの奇跡』という本では、あの、ネット界の圧倒的重鎮『Amazon.com』が、吸収、でも、合併、でもなく、『求婚』した靴の通販会社『ザッポス』の企業価値について考えることが出来る。
この会社では私が思春期に抱えた葛藤など無意味だ。皆、タトゥーを入れたり、鼻にピアスをしたり、髪の毛をピンクにしようがモヒカンにしようが文句など言わない。様々な人種が共生する社会、グローバル文化が当たり前の国、そしてインターネットという世界では仕事さえちゃんとやれば、支障はないからである。『個性』を殺して生きるよりはよっぽどいい。Amazonから800億円で求婚されたザッポスという会社には、それがまかり通る『常識』があるのである。
日本人がなぜ『ガラパゴス化』していて、グローバル市場に出ることがこんなにも遅れているかというのが、戦後70年間の間に植えついた『非常識な常識』を考えればわかってくる。日本人は英語を公用語とするのを拒否したのだ。もちろん『意志を貫いたこと』にメリットもある。だからこそ日本は、世界で唯一、2000年以上もの間、『日本』として在り続け、一度も国名を変えていないというのが、日本の誇りだ。
小笠原諸島やガラパゴス諸島のように、どことも陸続きにならないからこそ独自に発達、進化した文化があり、『Cool JAPAN』、『サムライ』、『わびさび』というのは、今も日本の宝だ。だが『世界のリーダー』には相応しくない。それでいいのだろうか。世界に合わせる必要がないと。それでいいなら、独自の文化をひた守る北朝鮮を、責めることをしてはならないのではないだろうか。
責めるなら、日本はグローバルな視野を持って何から何まで組み替えるべきだ。髪の毛の色が違うというだけで職につけない、偏差値が低いというだけで無能のレッテルを貼る、そういうスクリーニング(ふるいにかけること)で、残る人材など、所詮『ガラパゴスの材料』である。
『不易流行(ふえきりゅうこう)』とは、いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。つまり、『不易流行』を実践すればいいのだ。日本らしさを失わずして、グローバル大国に昇華することは可能なのだ。
ソクラテスの話に戻ろう。彼が言うこの『法廷』とは、『人生を決める運命の裁判』のことだ。自分の『命』がかかったその一世一代のはずの大舞台で、裁判員たちの機嫌を取るようなことをしないソクラテス。彼はその後の裁判でもちろん『真実』を話し、裁判員たちの怒りを買い、死刑に票を入れられた。だがソクラテスは、『知性』を貫いたのだ。
私の知り合いの公認会計士に、こういう生き方をする人間を揶揄して見下す者がいた。彼曰く、『要領が悪い』のだという。私はそうは思わない。そして彼との友人関係も、もう終わっているのだ。そうなったやりとりが、とても『ソクラテスと大衆』のそれに似ている。いつの世も、人の人生は尊く、そして虚しいものである。それにすがりついてしまうのが、人間という生き物なのかもしれない。
※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。
関連する『黄金律』
『人の評価に依存することの愚かさを知れ。依存しないなら強い。』
『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』