古代ギリシャ哲学者 ソクラテス(画像)
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内省
『富』の定義の問題だ。最初に言う『富』とは、財産のことである。往々にして人間が目が眩みがちな、金銀財宝、土地に権利に、私腹が肥える利益である。『私腹が肥える』ぐらいなのだから、私利私欲のことを考えなければそれは満たされない。『私利私欲』のことを考えている人間に『良心』はあるだろうか。あるとしたら、なぜ『私利私欲』に走るのだろうか。その反対の、『公利公欲』、『無私無欲』、『先義後利』、という考え方もあったはずだ。『富を追わない』という選択肢もあったはずなのだ。
日本には『経営の神様』と呼ばれる人間が、過去と現在に二人いる。松下幸之助と、稲森和夫だ。彼らは同じことを言っている。『義』を軽んじるな、と強く主張しているのだ。
例えば松下幸之助は、
と言っている。
稲盛和夫は、
『同じ山があったとき、Aの山はどういう風に出来て、何で出来ているかもわからずいつの間にか出来ていた山で、Bの山は、10年20年30年かけて、少しずつチリを積もらせ、山にしたというとき、人は、Bの山を信頼するのではないだろうか。外部からの信頼だけじゃない。Bの山は、人として、企業として、とても強靭で、逞しく、生きがいがあるのである。』
と言っている。彼らの考え方が、『私利私欲』か『先義後利』なのか、考えてみるといい。彼らは『富を追いかけた』のではない。『良心を持って夢を果たそうとした結果、富を得た』のである。そしてその『富』とは、冒頭に書いたような金銀財宝だけのことではない。国民の信頼、日本の情勢、人間の威信、そして生命の尊厳までもが、ここでいう『富』なのである。
孔子の教えにも、『義利合一』という概念がある。自分のエゴを押し出すと、そのエゴによって人生を食いつぶされてしまうだろう。そのことを肝に銘じるべし。
※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。