古代ギリシャ哲学者 ソクラテス(画像)
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ソクラテスは、『悪法』によって殺されている。『悪法』とは、悪い法律だ。たとえば、『冤罪』である。無実の罪の人間を殺してしまう法律など、『良い法律』ではない。そういうことだ。
だが、ソクラテスは逃げだなさなかった。逃げだしたら、自分に負い目があることの証明になってしまうからだ。
ソクラテスは言った。
悪い法律でも、法律は法律だ。それを破ったり、あるいは逃げ出したりすることは、真理に背く行為だ。そうまでして『生きながらえる』くらいなら、死を選ぶ。それに、『死』が思っているような地獄の世界ではなかった場合、むしろ光栄の処遇なのではないだろうか。もちろんそれは誰にもわからない。
自分を嵌めたアニュトスとメレトスについて、ソクラテスはこう言っている。
『彼らは私を殺すことは出来るが、私に害をなすことは出来ない。』
人生最後の日を迎えたソクラテスは『幸せそうに見え』、『時によっては死の方が生より好ましい』と述べた。そしてこう言ったのだ。
『お別れのときが来た。君たちは生きながらえる為、私は死ぬために分かれるのだ。君たちと私のどちらがより幸運なのだろうか?答えることが出来るのは神のみである。』
アメリカの作家、ヘンリー・デイヴィッド・ソローはこう言っている。
お金があれば救えた命もあっただろう。 ”力”がないから、ねじ伏せられた悲劇もあっただろう。そういう場面で人間がとるべき選択肢の正解はいったいなんなのか。これは、一人一人が自分の人生で、決断することだ。未来永劫唯一無二の、自分の人生で。
だが忘れてはならないことがある。自分の”子孫”とは、身内だけではない。全ての人間がその対象だということだ。自分のその行動は、どこまでの範囲に影響を与えるか。たった一人、自分だけが満足したい?銃乱射事件なんかがそうだ。あれをやって、無関係の人を大勢殺して、最後に自殺する。こういう人間と、ソクラテスとで例えて考えてみるのだ。何を思ったか。それが、この言葉に宿る、”真理(答え)”である。
※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。