古代ギリシャ哲学者 ソクラテス(画像)
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いかなる条件、状況によっても、不正に対し、不正で持って報いてはならない。これが出来るかどうか。
例えば『仇討』だ。目の前で大切な人が理不尽に殺されたのを見たとき、我々人間は、何もしないでその場をしのぎ、裁判まで持っていけばいいのか。罪を認めないような人間だったら、何年も何年も、犯人に『正当な罰』を受けさせるために、長い間じっと我慢しなければならない。
北朝鮮の拉致問題はどうか。親からすれば溺愛する子供の頃に拉致され、その思いはいまだに晴れることなく、彼ら両親の心を蝕みつづける。このまま寿命が来たらどうするのだろうか。相手が、もし死ぬのを待っていて、闇に葬ろうとしていたら、こんなにも理不尽な話はない。それならばいっそ、耐え忍び、理不尽にもその無念が晴れないのならいっそ、『違う解決法』を取ることも、頭によぎるのではないだろうか。
だが、それでは相手と、その理不尽な人間と、『同類』になってしまう。これ以上の屈辱はないだろう。自分の人生に、あまりにも理不尽な影響を与えた人間に屈しない。それは、相手と同類に、成り下がらないことだ。それが、人間の誇りなのだ。
”負”は、ある。人間は、”負”の連鎖に、打ち克てる。だが、もし打ち勝てなくても、人はあなたを、心の中では、責めないだろう。だが、人として生きて、死んでいくこの数奇な運命の中で、この奇跡の人生の中で、自分にしか生きれない人生とは、きっと、仇討ではない。後世の人々に生きる勇気を与える、模範となれ。後世の人々に言い伝えられる、規範となれ。それこそが人間の、矜持である。
※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。