古代ギリシャ哲学者 ソクラテス(画像)
Contents|目次
法は、善人のために作られるものではない。法とは、人間が秩序を保つために、その秩序と混沌との境界線を引いたものだ。たしかに、正直者が馬鹿を見るというように、善人に対しては、なにか特別な施策を施さなければ、彼ら善人が哀れでならないような気はする。
だが、善人にだけ重きを置いたのでは、『悪人』の命を軽んじることになってしまう。それでは『人』として、おかしい。法律として定めることの根本はむしろ、『悪人』を締め出すことではない。『悪人』を輩出しないようにするためだ。
誰もが赤ん坊のころは善人だ。環境の差異が、人を善人にも、悪人にもさせる。その時に、法と言う道標があったなら、善人と悪人の境界線がわかり、善人が誤って悪人へと道を踏み外すことは抑えられるのだ。だから、決して法律とは、万能ではない。もともと、恒久的に未熟な、人間達がつくったものだ。当然それも、未熟である。
ときには、悪人が法を悪用し、善人が法に侮蔑されることもあるだろう。法の網をかいくぐった悪事がまかり通るのは悔しい。理不尽な冤罪を着せられたときは悲しい。もちろんそこで、抗ってもいい。それも『強さ』だ。だが、『死ぬ』という選択肢もあるのだ。その自分の死が、遺された人々への資産になるのなら。
そうして人は、人の死を通し、勇敢な人の人生を尊び、法を見直し、ルールを見直し、規範意識を強化して、より崇高な地球のリーダーへと昇華するのだから。その『肥やし』を志願することも、大義ある勇気の一つだ。
※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。