古代ギリシャ哲学者 ソクラテス(画像)
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幼馴染のクリトンは、死刑が決まった友人のソクラテスを脱獄させようと決意し看守に賄賂を掴ませ、ソクラテスの牢屋に潜入し、囁いた。クリトンは、お金を使えばソクラテスを脱獄させようとすることが出来ると知っていた。そして、それをしなければ、周囲に何を言われるかわかったものではないと考えていた。
そう言われたらかなわない。そういう気持ちも強かった。
しかしソクラテスは言った。
『ちょっと待ってくれクリトン。どうして君はそんなに世間の評判が気になるのだ。むしろ大切なのは、それよりも優れた人が、どのように思うかだよ。立派な人なら、本当のことをわかってくれるよ。』
しかしクリトンは大衆や世間の声の重要さを続けて説いた。だがソクラテスは、断じてそれを否定した。
『大衆が悪いことをしたというのなら、大衆は善いことも出来るということだ。だが、大衆にはそれは出来ない。大衆が出来るのは常として、右へ左へ流されて騒ぐことだけだ。』
つまり、もし悪いことをしても、善いことをしても、それを仕向けた主体者が別にいる。あるいは、別の主体が存在する。大衆は、それに流されているだけだ。そこに意志はない。コロコロと変わる、愚かでいい加減な生き物なのだ。
例えば、『『中国古典』の教え』の『史記』にある、
『地位が上がったり下がったりすることによって、付き合いの深さが良くわかる』
という言葉は、まさにその通りだ。こちらが調子のいい時は放っておいても人は集まるが、落ち目になるとさっと去っていく 遥か昔から今において、変わることのない愚かな習性である。
本は続けてこう言う。
『だが、初めからそれが人情だと心得ていれば、人が寄ってきたからといって喜ぶこともないし、去っていったからといって嘆くこともないのである。』
ソクラテスが友人クリトンに言ったことも、同じことなのである。そういう『虚ろな存在』に焦点を当てても無駄だ、と。そう言いたいのだ。
※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。