病気になるとうつ病を招くの?
はい。誰もが病気になれば塞ぎ込み、悩み、健康体だったころを思い出し、その頃とのギャップに打ちひしがれるでしょう。しかし、むしろそれは喜ぶべきかもしれません。
先生
ハニワくん
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深い内省が出来るのは病気になったとき
この記事は、
と併せて考えていきたい。
これは、『うつ病の改善に為に薬よりも重要な事実があることを知る 』 にも書いたが、人間は、『 生き物なのだ。
従って、『病気を患った自分の姿』も同じように『
ということになり、大きな心理的ストレスを負い、うつになって衰弱する可能性は極めて高いわけだ。
それから普通に考えても、病気を患ったときに(やっぱり健康第一だよなあ。。)として、健康だったときを思い出し、どれだけ人間にとって健康が大事なことで、幸せなことなのかを思い出し、健康に気を付けなかったことを後悔するように、単純に、人は病気を患うと、それだけで気分は落ち込みがちである。
と言って騒ぎ立て、ハッピーになる人は
更には、その病気が引き起こす諸症状自体も、気分をマイナスにさせる悪材料となる。
だが、そのうつ的な気分の落ち込みによって、普段はしない反省をするわけだ。
。つまり、健康なだけでどれだけ幸せだったのかを思い知る。それが出来るなら、むしろ病気でうつ的になることは、有難い機会なのである。
先生
ハニワくん
- 人間は、『自分が本来望んでいる理想像と現実の不一致』が心理的ストレスを感じる生き物。
- 『足るを知る者は富む』。
病気になるなら生きている証拠
それから、不治の病を宣告されたら、そりゃあ誰だって心も病んでしまうだろう。もう二度と治らない、治療法が見つかっていない、余命数年だ。などと医者に言われたら、誰だって絶望的な心に蝕まれていくだろう。それは当たり前のことなのだ。
どれぐらい当たり前かというと、
ことと同じくらい当たり前だ。人は、そういう風に『痛み、苦しみ、死』などの自分の命を危険にさらすような条件から自分を遠ざけ、それに近づけば近づくほど心身に異常反応が出るようになっている。
もし、そういう断崖絶壁の場所で恐怖心が芽生えない様であれば、それは逆に『死んでしまう確率が上がる』ことを意味する。
まるで、痛みを感じない人と同じだ。痛みを感じない人は、それゆえに例えば、すねで思い切り机の角を蹴って、骨が折れて血が吹き出ても、『痛くないんだ』と言ってみせるわけだが、しかし、人体の構造的に、
つまり、『痛くない』とか『怖くない』というのは、別に自慢にも何にもならない。痛い、怖いからこそ、自分の命を死から遠ざけることが出来るのだ。
従って、病気になったり、不治の病を宣告されたりすれば、当然それは、通常時に比べて『死に近づいた』わけだから、『痛い、辛い、苦しい、怖い』という感情が湧き出て当然なのである。むしろそれは
だ。自分が何とか死から遠ざかることが出来る様に、体にサインを送っているのだから。
医者に、『治らない』と宣告されても、治ったケースがあるだろう。あのように、たとえそのサインが絶望的なものでも、希望さえ失わなければ状況を打破できることもある。また、最後まであきらめずに戦う姿勢は、遺る者に命の尊さや、矜持、感動を与えることになるかもしれない。
まずは、病気でうつになることなんて当たり前なんだ。ということを理解することが必要であり、
という気概でもって、命を全うしたい。
先生
ハニワくん
先生
- 『痛い、辛い、苦しい、怖い』という感情が湧き出て当然。むしろそれは褒めてあげるべき感情。