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考察
『矜誇(きんこ)』とは、矜持と誇りの二文字が入っていることからもわかるように、自分の能力への誇りを意味する。『愛欲』は、異性への性的な欲求。『疑惑』については、説明不要だ。ではこの共通点は何かというと、ブッダが言うところの、
の教えが示す通り、『執着』である。そこから『罪』が生まれるのはわかる。ブッダの教えでは、執着自体が罪だからだ。では、『徳』でもあるということはどういうことだろうか。罪の大元でもあるし、徳の大元でもある。それはそうだ。いくら『何にも執着しない』と言って『罪』を積み重ねなくても、同時に、何もしなければ『徳』も積むことは出来ない。
ルソーは言った。
『徳を積みたい』という発想もまた、人間ならではのものである。矜誇を重んじ、疑惑の念を常に抱いていれば表面化されている常識に惑わされず、真理にたどり着ける。真理を重んじることができた人間は、徳ある人間の称号にふさわしい。
では、『愛欲』はどうか。異性への性的な欲求である。しかしこれに支配されている人は徳ある人に値しないため、これは違うということになる。ではどういうことかというと、芥川龍之介の言葉の意味が間違っているか、こちらの解釈が間違っているということだ。恐らく後者だろう。彼が言っているのは『この三者から発している』であり、『この三者全てがその根幹である』ではない。したがって、愛欲は罪の方に該当する欲求であり、徳の方には該当しないということになる。
ただ、問題は『あらゆる徳』と言っているところだ。普通『徳』とは、ひとまとめにされているものである。例えば、孔子が統治の基本理念においたのは『仁』である。仁は最高の『徳』であり、徳を積むことこそが仁に到達する道筋であると説いた。
徳を積むためにまず成すべきは『学』にあると孔子は示している。孔子は、こうした学びの先にあるものが『知』であるとした。学ぶことによって正しい道を選ぶ判断の出来る知を獲得するのだと考えたのである。徳を積むためにまず『学』を得る必要があるなら、たしかにそれは『あらゆる場所にある』ことになる。ある分野の学を得たところで、他の分野の学を得られるわけではない。そう考えると、学であれば徳と違って、『あらゆる学』が存在するイメージが持てる。
しかし、その学を愛欲の為に求めている人はどれだけいるだろうか。いるかもしれないし、いないかもしれない。したがって、愛欲と徳に関係性はないと見える。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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